はじめに

はじめまして。
おのと申します。
SNSでまともに発信をしたことがないのですが、ブログを始めてみました。
 
わたしは昔から、フェミニズム/ジェンダー/セクシュアリティに関すること、ものに関心があり、それなりに長い間「なんでだろう?」と思っていたのですが、20歳を超えてそこそこ経ってから、自分がアセクシャルなのではないか、と思い当たりました。
 
アセクシャル〉という言葉はそれ以前にも知っていたけれど、それまでのわたしの〈アセクシャル〉に対する認識は、なんかこう児童文学の世界のような、キラキラしいピュアな世界にいる人たち、という偏ったイメージによって形成されていました。
けれど、長い間自分自身のセクシュアリティの行方がわからず、その行方がわからないことこそが、〈アセクシャル〉の定義に当て嵌まる、とだんだんと思うようになりました。
 
アセクシャルに対して上記のような偏ったイメージを抱いていたものだから、自分がそれではないか、と考えたとき、マジかよ…ってなりました。
アセクシャルであることに対して抵抗があった訳ではなく、自分のようなドロドロとした、煩悩にまみれた人間がそれを自認していいのか…?という疑問が拭えなかったのです。
それでもアセクシャルの定義である、「恋愛感情や性的欲求を他者に抱かない」という部分に、自らが当て嵌まっているように見えました。
 
そこからインターネット上でアセクシャルについて探っていくと、そう自認されている方が複数見つかり、そしてそれはとても多様なものでした。
わたしが見た範囲では、そういった方々も、定義については戸惑いながら、そのカテゴリーを用いているようでした。
現在、セクシャルマイノリティーは「LGBT」という言葉で一括されることが多く、その言葉によって可視化が進んでいる状況がある一方、「LGBT」に包括しきれないものがこぼれ落ちていくこと、また、「LGBT」という一言が用いられることによって、そのなかの差異や分断が覆い隠されてしまうことが、一個人としてとても怖ろしいのです。
 
アセクシャル、またノンセクシャルは、定義が難しいものでもあるけど、そもそも認知されていない、ということが問題かなぁと(今現在、ぐーぐる先生で「レズビアン」と「アセクシャル」の検索数を比較すると、0がひとつ違うぞ!)。
わたしはアセクシャルという言葉の定義は、必要があれば更新されるべきだと思うし、色々な人が、真摯にその言葉に向き合ってほしいと思っています。
そのために、色々な人にその存在そのものと、そのなかの振れ幅、グラデーションを知ってもらうことが必要だと感じました。
 
なのでわたしは、わたしが現状で一番しっくり来る立ち位置から、少しずつでもいいから発信をしていこう、と思って、ブログを始めてみました。
いつか〈アセクシャル〉という言葉の意味が変わって、もしくはより詳細になって、わたしがそこに当てはまらなくなっても、一向にかまいません。
その頃にはあたらしい言葉ができているかもしれないし、そもそも、わたしは自分自身や、似たような部分で生き辛くなっている人たちが、生きやすくなればそれでいい。
 
今まで、自己開示や他人と関わることには苦手意識があり、色んなところでためらって二の足を踏んでいましたが、これからは少しずつ、自分を開くことによって人と関われたらいいなと思います。
わたし自身が、直接顔を合せない人であっても、色々な言葉に(一方的に)救われた経験が多々あるので。
 
ただ、最初にセクシュアリティのことを書いておいてあれですが、書く内容をそれだけに絞ると絶対に書かなくなるので…マンガやアイドル、映画、展覧会の話なども今後はだらだらしていきます。
そういうものを通じて、セクシュアリティを含む自分自身のことを、認識していったという過程を含めて。
 
よろしくお願いします。